朝靄の中で逆光を浴びて、川の上に立つ姿はまるで、





川の中の孤独な月







朝、サレはいつもより早く目が覚めた。
低血圧なので起き上がってぼーっとして時間が潰れるのは彼にとっていつものことだ。
カーテンは締め切っていたのだが、まだ日が差し込むほど太陽が昇っていない。
それを見かねて、サレは窓辺に近寄った。
窓から見た景色はさすが田舎、朝露に濡れたような芝が辺りを覆ってる。
薄っすらと赤みが差した空を見ながら、ふとサレは人影に気付いた。
何処かでみた事があるような気がする。遠目からなので、長い髪のヒューマの女性としか分からなかった。
だが、それほど興味もなかったのでサレは部屋へと視線を戻した。
元来、一人旅の客しか来ないような場所だから一つしかない広い部屋にベッドがいくつか設置されている。
そんな部屋で全員寝ていられるのは、仕事仲間という認識があるし、野宿などもよくあることで、お互い気にしないからだろう。
サレはトーマ、ワルトゥ、が寝ているのを順に目で追った。特に意味があった動作ではなかったのだが、違和感を感じた。
そう、ひとり足りない。誰かはすぐに分からなかったが、確かに足りなかった。
そして、の隣があいていることにサレは気付く。そこが誰か、なんて愚問だった。
サレは面白そうに口の端を持ち上げ、窓の方へと振り返った。









私はフォルスを使って、川の上に立っていた。
王の盾の現体長という肩書きを持っていて、どうかとも思ったが、なんとなく部屋にはいたくなかった。
見張りの兵士と一緒に起きていたのだが交代したところで私は外に出た。
田舎に来るのは久しぶりのことだ。
私が住んでいたのはノルゼン地方の山奥の頂上だったから、この寒さにも慣れている。
サレが私たちを見て、狂気の沙汰だ、と呟いていた。私たちの薄着を見てのことだろう。
だが、ノルゼンに比べれば、ここは春のようなものだ。
私はだんだん明るくなる空を見ながら、の修行をしていた頃を懐かしく思った。
懐古に浸っていると、ふっと草むらを踏む音が聞こえてきて、私は振り向いた。
紫の髪に紫の服、ということはサレだ。

「・・・おはよう。」

声をかけるとサレは驚いたように目を見開いたが、次の瞬間、厭らしげに笑った。

「おはようございます、隊長?」

彼は笑みを浮かべながら言った。
私は改まって敬語で挨拶を返されたことに不快感を持った。馬鹿にされてる。

「隊長が隊を離れてこんなところにいて、いいんですかねぇ?」

ますますむっとして、私はサレを睨んだ。

「・・・止めて頂戴。」

私はまだ髪を結っていなかったので、風で揺れる髪が顔に掛かって鬱陶しいと思い、髪を耳に掛ける。
だけど、サレを睨むことは止めなかった。
サレはよほど面白かったのか、くすくすと私を見て笑う。

「何故です?」

サレはとぼけるように聞いた。
私はいらだって、サレを睨んだ。

「隊長はユージーン・ガラルド。私は代理よ。」

かなりいらだっていたので髪の毛を本気で鬱陶しく思った。
私は髪を纏めて一つに束ねて紐で縛る。
かなり下の位置になってしまったが、気にしなかった。

「へぇ?でも、彼は重罪を犯した殺人犯ですよ?」

サレはの反応を窺うように言い返した。
そして、更に続ける。

「王宮を血で穢した、ね。」

サレだって王国に忠誠を誓った身だ。
王宮に血が流れたことを一番気にしていたのは意外なことに冷酷で残忍のはずのサレだった。
その心理は分からない。
何故、今そんなことを持ち出すんだろう。
答えは一つしかなかった。

「私のこと嫌いなのね。」

サレは一瞬驚いたようだが、怯まずに笑った。

「よくわかってますねぇ。さすが隊長。」

サレはくすくすと笑い、私は何もいわずにサレを見つめた。

「・・・あんた、死ぬわよ。」

私の口からはそんな言葉が出ていた。本気でそう思った。
狂気に染まっているように彼は見えるが、そんなの面だけだ。
そんな脆いもので、この世界をやっていけるはずが無い。
サレは一瞬目を見開いたが、妖艶に笑って見せた。

「それもまた一興でしょう。」

私はその返答に納得が行かずにサレを睨んだ。
そんな私の様子も楽しいのか、サレが笑うがサレの笑いは面白く無さそうにも聞こえた。

「・・・どうして、そうやって意地張るわけ?」

死にたくなんてないくせに。
彼は確かに死さえ恐れない雰囲気があるけれど、私はその雰囲気が演技のように思えていた。

「意地?僕が?」

彼は再び笑い出した。
だが、明らかに彼は動揺していた。
証拠に敬語が消えたのだから。

「馬鹿じゃないの?」

彼は嘲るように私に言った。
差がその表情はどこか疲れたようで、私は一瞬驚いた。
そして更にサレは言葉を続ける。

「僕が意地?君みたいな人が隊長代理ってことも笑えるんだけどねぇ。」

サレは今までと違って、本気で私を睨みつけた。その瞳の暗さに私は気圧された。
その紫の瞳は真っ黒で飲み込まれそうなほど、何処までも続く闇だった。

「・・・まあそうね。世間知らずの私が隊長代理なのは確かに笑えるわ。」

私は事実を認めた。
何せ、私はまだ王の盾に入って三年しか経っていない。
そんな私が隊長代理をやっているのは確かにおかしな話だろう。
サレも満足そうに笑ったが、そんな彼に私は一言付け足した。

「だけど、私は心に嘘はつかないから。」

まっすぐに私はサレを見据えた。
サレも流石に顔を顰め、私を睨む。

「へぇ?だったら、僕は嘘吐きって訳?」

彼は飽く迄、面白いとばかりに言っているように努めているようだったが、口元が引き攣っていることを私は見逃さなかった。

「違うのかしら?」

私とサレは暫く睨み合って、何も言わなかった。
やがて、サレが溜め息とともに、私から視線を外した。

「まったく。君みたいな人は初めてだよ。」

サレはかなりいらだった口調で言った。
本当のところ、私との会話にかなりいらだっていたのだろう。

といいね・・・。それともから聞いたわけ?」

サレの話がに転じて、しかも私がにサレの心を聞いたと思っているらしい。
から確かにサレは変だと聞いたが、それ以上何も聞いてない。
そもそも、にはサレの心が見えなかったのだから、聞けるはずが無い。

「なんでそんなことしなきゃならないのよ。の力はのものだわ。任務遂行で必要なときだけよ。なんだったら、彼女に聞きなさい。」

にサレの心は見れなかったと伝えようとも思ったが、私は言わなかった。
私がお節介だと言いたげなサレに腹が立っていたからだ。
早口で捲くし立てた私に暫くサレは呆然としていたが、呆れたように肩を竦めた。

「分かったから、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。」

両手を挙げて宥めるようにサレは言う。私は顔を逸らした。
あんたに言われたくない、と心で呟く。
そもそも、なんで彼が私を嫌っているのか、よくわからなかった。

「・・・そういえばさ、君、そこにどうやって立ってるの?」

サレはのうのうと聞いてきた。
私は川の真ん中で水面に立っていたから、普通だろう。
だが、彼の態度が気に喰わなかった。

「・・・別にいいでしょ。」

私はサレの質問に答えずに、睨んだ。
すると、サレの眉がピクリッと引き攣った。

「へぇ?僕に逆らうんだ?」

あんたは何様よ、と言いたかったが私は黙りとおした。
それがサレの神経を逆撫でしたらしい。
サレの眉間には、かなり皺が寄っていた。

「・・・隊長は部下に対して無愛想だね。」

サレは鼻で私を笑った。
これはさすがに私でも黙ってられなかった。

「上司に対して、貴方の方が失礼だったんじゃないかしら。」

私は静かにそう言い返したが、腸が煮えくり返るほどいらだっていた。
するとサレの白い肌に僅かに赤みが差した。

「な・・・。僕より上司かは知らないけどさ。僕は君より先に王の盾にいたんだよ?」

先輩といえる存在じゃないのかなあ?とサレは厭味たっぷりに言い放った。
その言葉で、だいたいサレが私を嫌った理由がわかった気がした。
とにかく、私という存在そのものが気に喰わないのだろう。

「・・・まあ、それは一理あるわ。」

理由が分かった私は素直に、その言葉を受け入れた。

「・・・ようするに私のこと、気に入らないんでしょ?」

当たったようだ。
サレが私をものすごい顔で睨み、顔を逸らす。

「別にそんなことは言ってないよ。」

そのまま、沈黙が流れた。
朝日はすっかり昇って、私とサレを照らしていた。
これで私とサレの仲は完璧に修正不可能だと悟る。
私はこの重苦しい沈黙にいる気はなかったので、歩き出した。
川は小さく波紋を浮かべ、広がるのを見ながら、私は川を横断しきった。
そして、サレの隣を無言で通り過ぎようとした。

「へぇ、逃げるんだ。」

通り過ぎたとき、サレが勝ち誇ったように言った。
私はすぐさま振り向いた。

「逃げるんじゃないわ。戻るのよ。」

屁理屈だと分かっていたが私はそう言い残し、去った。
後ろで叢を蹴るような葉の擦れあう音が聞こえたが振り向かなかった。


小屋に戻ると、兵士が敬礼して私を迎えた。
ご苦労様、と笑ったが兵士は一瞬困惑したようだった。
どうやら、私の顔に怒りが出ているらしいことを悟った。







目が覚めると、が窓辺に立っていた。
私は体を起こし、欠伸を一つすると、が気付いて微笑んだ。

「おはよう、。」

私は見て挨拶を返そうとしたが、の顔を見て凍りついた。

「おはよう・・・。」

は普通に笑ってるつもりだろうか。
彼女にしては珍しいことだが、彼女は明らかに腹が立っているらしく、表情が引き攣ってる。
私はそんなに困惑しながら、そっとベッドを降りてに近寄った。

「・・・あの、・・。」

おずおずと話しかけるとはすぐに、ん?と反応を返す。
だけど、やっぱり雰囲気がどこか刺々しかった。

「・・・なにかあった?」

恐る恐る聞くとは沈黙した。

「何もないわよ。」

そういうと私から離れて、大股でドアで繋がっている店の方へと向かった。
店員が頭を下げるのも無視して、部屋を出て行く。
いつもだったら、も礼を言って出て行っていただろう。
何があったんだろう。
残された私はパジャマで間抜けな姿のまま、首を傾げた。
そのあと、着替えて店の方に行くとサレもやたら不機嫌そうだった。

「どうしたの?サレ。」

聞いてみると、サレは不機嫌そうに私を見た。
私は思わずたじろぐ。

「それなら、君のお友達に聞いてくれないかな?」

サレは冷たく言い放つと、いらいらしたように指を動かした。
が関係あるのだろうか。二人に何があったんだろう。
私は何がなんだか分からず、トーマやワルトゥもやたらと機嫌が悪い二人にかなり気を使う破目になった。
孤月と呼ばれたはもっぱら私としか任務に出なかったから、誰かと反りが合わないのが明るみに出るのは当たり前かも知れない。
それがたまたまサレだっただけなのだが、なんとなくそれが変な気分だった。

そのまま、いつものムードメイカーであるサレが不機嫌な所為でなんだか重たい朝食の席になった。





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2006-07-23 Written by mizuna akiou.