たいせつなもの





生きる意味なんてわからない。
殺す理由なんてわからない。
死ぬ原理なんて知りたくない。
人が人を殺そうとする理由なんて知りたくない。

今日も焔の錬金術師がイシュヴァールの町に火を点けた。
始まりの合図だ。
私は立ち上がって、人を殺すべく、町へと出て行く。
人を殺す際には何も思わない。
もともと普通の軍人として軍に入り、国家錬金術師なんていうモノがあると知って国家錬金術師になった。
随分昔に殉職した父に教わったものだった。
軍人になる以外、昔から考えた事なんて無かった。
女であることも気にしなかった。
恋に落ちたことすらなかった。
大切な人もなく大事なことさえ忘れてしまった。
錬金術を施した弾丸で逃げる人々を撃った。
同じ錬成陣を彫られた指輪を連動させて発動させれば、間もなくその場に倒れた。
弾には毒物が仕込んであり、それが人を死に至らしめる。
死の運命に抗おうと私に向かってくる人間は体術で応戦した。
銃が奪われた場合は剣を抜いた。
人を貫く感覚にも慣れて、二度と立ち上がらないように倒れても何度も剣を突き刺した。
何か隠しているような人間にはその場で拷問を掛けた。
爪や肌を剥ぎ、指を切り落とし、手を焼き、剣を突き刺し、足を切り落とし、叫んで秘密を漏らせば、その場で殺した。
相手がどんなに泣き叫んでも、私は心を痛めることはなかった。
子供がいた。
小さな子供で、すぐさま殺そうとした。
だけど、その子供は私を見て一言呟いた。

「お母さん・・・」

私の手は何故か止まった。
私には母の記憶がなかった。
気が付けば、父と二人暮らしだった。
仕事で忙しかった父と言葉を交わしたこともほとんどなかった。
この子供は自分の母親を知っているから、母親を呼ぶのであろう。
そんなことを考えていると、その子供の母がその子供を抱いて、私と対峙した。

「わ、私は殺してもいいわ。この子には手を触れさせない。」

彼女は私に震えそうな声で言った。
どうして、他人のために命を投げ出せるんだろう。
不思議でならなかった。
私は逃げようとする彼女をいつものように撃ち殺し、傍に落ちた子供も刺し殺そうとした。
だけど、私は剣を振り上げたまま動けなかった。
傍に倒れている母親が何故か命がけで守ろうとした子供。
何のために。この子供にそんな価値があるものなんだろうか。
既に絶命している母親を見て、その子供は泣き叫んだ。

「お母さん、お母さん・・・。」

子供は息をしていない母親を必死で呼ぶ。
母親とは、そんな大事なものなんだろうか。
私に分かる由もなかった。
武器も何も持たない子供が私に何も出来るわけない。
だから、私は子供を見守った。
私が子供を殺さないのを見てか、大人は私を狙って銃を撃ったり、背後に迫ったりした。
その度に撃ち殺し、切り裂き、血飛沫を被った。
いつの間にか、私の回りには死体が溢れていた。

「どうして・・・」

私が頬に付いた血を拭っていると、子供が呟いた。

「どうして、お姉ちゃんは人を殺すの。」

子供は無垢な瞳いっぱいに涙を溜めて、私をまっすぐに見つめた。

「軍の命令だから。」

それ以上それ以下でもない。
そうだ、私は軍の命令で動いてる。
それなのにどうして、この子供に手を掛けられないのだろう。

「・・・お姉ちゃんは人を殺して、痛くないの。」

痛む心なんて最初から持ち合わせていなかった。
自分の親が死んだときも、涙すら流さなかった私に何が痛いのだろう。

「痛くない。」

子供はその答えに目を見張って、隣に転がっている母親を見た。
目を見開き、その赤い瞳に恐怖が映っているように私には見えた。

「・・・おかしいよ・・・」

子供はそう呟いた。
私がおかしいというのだろうか。
そうかもしれない。
仲間がこの戦争で狂い、悶え苦しんで、自殺を図ろうとも、私一人はこの前後で変わっていない。
人が悶絶しても躊躇うことなく、この手で殺す事が出来る。
人を殺傷することを厭わない。
むしろ、関心がなかった。
そう考えていると、なんだかおかしな気分になってきた。
急に殺すつもりのなかったその子供が忌まわしいもののように思えてきた。
振り下ろされようとする剣を瞳に映し、恐怖にうろたえた子供を私は血に染めた。
僅かに動いた子供は致命傷から外れたらしく、うめいてその場に倒れた。
倒れた後も痙攣をしていて、私は躊躇することもなく、子供に死を与えた。
子供の血は跳ね返って私の靴を緋色に染めた。
その瞳と同じ色だった。
何故か、私は無性にその瞳が欲しいと思った。
見開かれた小さな瞳が異様に私を惑わせた。
気が付けば、私は軍服に忍ばせていた小型のナイフを取り出し、それを不器用に子供の眼球を傷つけないように差し込んだ。
瞼が裂けて、血管を傷つけた所為で軽く血が私の顔に飛んできたが気にせず、私は子供の眼球を取り出した。
子供の眼球は艶やかでやわらかかった。
片方が空洞になった子供の死体は火花が散る空をまっすぐに眺めている。
私の頬に何故か生温いものが流れた。
ああ、これが涙というものか。
私は指でそれを拭うと跳ね返った血と混じって、淡い赤色に変色した。
そのとき、どうしようもなく苦しいと思った。
息をするのさえ疎ましく、何故自分は生きているのかと責めるような気持ちになった。
同時に子供を殺す気にならなかった理由と急に気が変わった理由が押し寄せてきた。
殺す気にならなかったのは純粋に母親を思って泣いていた子供が羨ましかったのだ。
その子供を純粋に尊敬したからだ。
殺す気になったのは純粋に私をおかしいといって蔑んだ子供が憎かったのだ。
その子供に劣等感を抱いたからだ。
私は押し寄せてくる感情をコントロールする事が出来なくて、その場に崩れ落ちた。
戦渦の中であることを忘れ、私は眼球を握り締め、涙を流し、泣き叫んだ。
涙が止まったときには、潰れた眼球が手にこびりついていた。

私がテントに戻ると、焔の錬金術師が驚いたような顔で私を見つめた。

「・・・どうしたんだ・・・?」

私は黙って、彼の前を通り過ぎた。
潰れたあの子供の目は未だに私の手にこびりついて取れなかった。

「・・・もう、殺したくない・・・」

気が付けば、そう呟いていた。
悲しいからだとか、心が痛むからだとか、苦しいからだとか、純粋な理由ではない。
彼らの人間らしいところを見せ付けられ、自分がどれだけ狂っているかを思い知らされ、劣等感を感じるのが嫌だった。
私の醜い部分がどうしようもなく嫌だった。

「・・・仕方ないさ。上からの命令だ。」

彼が苦々しげに呟いた。
彼もまた人間らしさを持っていて、私を嫌な気分にさせる。
私は一瞬彼を殺したくなった。

「・・・それにしても、君にそんな人間らしい部分があったとはね・・・。」

彼は感心するように呟いた。
それが私の神経を逆撫でし、私は彼に銃を向けていた。

「人間らしい?」

私は嘲笑を浮かべた。
彼は振り返り、何も映さない瞳で私を見た。
なんで、彼の瞳は恐怖に染まらないのだろう。
疑問にも思ったが私は憤っていた私は気にする余裕すらなかった。

「私のどこが人間らしいと?むしろ、逆だ。子供を殺すことさえ厭わない。この手が何をしたか知ってるのか。」

私は手のひらを広げ、彼に見せ付けた。
彼は不可解そうに私を見つめる。

「死んだ子供の眼球を取り出し、復讐のように滅茶苦茶にする私のどこが人間らしい?」

私は自嘲するように笑った。
彼は特に表情を変化させなかった。

「・・・私は忌まわしい人間だ。人の心を・・・持ち合わせてなど、いない。」

私は銃を落とし、再び崩れ落ちて涙を流した。
自分が限りなく恨めしく、この身、この冷たい心を呪った。

「・・・少佐。」

私は呼ばれ、彼を睨んだ。
すると、彼はそっと私の頭を撫ぜた。

「・・・苦悩を感じるのは人間じゃないか。」

彼は優しくそう言った。
軽蔑するような目でもなかった。
私は更に泣いた。
彼はずっと何も言わずに、傍に座っていた。
いつの間にか、涙であの子供の目の残骸は流れていった。
何か、大切なものに気付けた、そんな気がした。







2006-08-07 Written by mizuna akiou .