きやむあのにわらう






雨が降ってる。
だけど、どこか透明さを窺わせるようなどこかすっきりとした、そんな雨。
湿ったアスファルトの匂いが鼻を掠め、ただでさえ泣き出しそうだった私を泣かせるには充分だった。

「・・・馬鹿・・・。」

それは自身に向けた言葉か、彼に向けたのか自分でさえ分からずに呟くと、更に涙が溢れてきた。
自分がこんな我が儘になるなんて、自分がこんな弱くなるなんて。
たった一人のために、こんな風になる私が信じられなかった。
彼が本当に私を想ってくれてるかどうかは知らない。
だからこそ、こんな私を悔しくて、見せたくなくて、私は雨が降り出しそうな天気の中、彼の家から飛び出した。

彼は私より、ずっと何でもできる。
手芸部だから、手先は器用だし、一人暮らしだから、料理だって私より上手。
更に学年トップで変だけど優しくて、私が逆立ちしたって敵いそうにない。
そんな彼に告白したのは、もう三ヶ月も前のこと。
当たって砕けろ、という友達に背を無理矢理押され、二人っきりにされ、やけくそになって、付き合ってって言ったら、二つ返事でうん、いいよ。
一瞬、呆然として、付き合うって意味を聞いたら、それくらい僕でも分かるって返事されて、三ヶ月。
彼もちゃんと分かってくれていたらしく、一緒に帰ることも彼の家に行くことも断らなかった。
だけど、何もされない。手を繋いだり、体に触れたことすらない。

私はとうとう待つのも我慢しきれなくなって彼の家に行って聞いてみたのがさっきの出来事。
最初は私が話をしなければ、彼は口を開く事がないので暫く無言だった。
羞恥心を捨てる覚悟を固め、意を決して私は彼に聞いた。

「・・・石田君は、キスとか、しないの?」

彼は一瞬目を見開いて、そのまま黙り込んだ。

「君は、したいの?」

聞かれて、急に恥ずかしさが消え失せ、その上、何も考えられなくなった。
なんのことない、彼は私のことを好きでもなんでもなかったんだ。
そう思うと、舞い上がっていた自分が馬鹿みたいだと思えて、涙が込みあがってきた。
なんだか自分が馬鹿にされたみたいに悔しくて、私は何も言わずに、彼の部屋を飛び出した。





夏の雨に降られながら、さっきまでは天気がよかったのにな、と私が彼の家に向かう途中の空を思い出す。
真っ青に晴れた空は今では一欠けらも感じないほど、灰色の雲が空を覆っている。
それに連想して、彼の告白の返事を聞いて舞い上がったときの自分が見えなくなった気がした。
私が憂鬱な想いで空を見上げると、急に影が私を覆い、雨が止んだ。

「・・・探したよ。」

振り向くとそこには石田君がいた。
彼の息は切れていて、よっぽど急いできたのか、傘はひとつしか持ってなかった。

「・・・なんで、きたの。」

濡れてわからないと思っていても、私は目元を拭った。
どっちにしろ、目に入ってくる雨粒も鬱陶しかったからだ。

「泣いてたのか?」

彼が黙ってくれればいいのに、と思った。
私はまた泣き出しそうだった。

「・・・泣いてない。」

私は意地を張って、そう言い返すと彼から視線を外した。
既に視界は涙でぼやけていた。

「嘘吐くなよ。」

彼は私を無理矢理前に向かそうと肩に置いた。
私は咄嗟に彼の手を払い除けた。
その拍子に彼が傘を持っていたほうの手にも当たって、彼の手から傘は滑り落ちた。
自然と、私は堕ち傘を目で追った。
あんなに憧れていた彼の手に触れること。
それがこんなかたちで叶うなんて。私の視界は更に歪み、傘に当たる雨の音が鮮明に聞こえた。

「どうして、優しくするの。」

私は落ちた傘を見つめながら、呟いた。
彼は暫く無言だったが、やがて溜め息を吐いた。

「当然だろ。」

彼にとっては、この行為は誰にでも行うことなんだろう。
そう思うと更に涙が溢れてきそうだった。

「・・・彼女を心配しない奴がいるか。」

私は思わず、顔を上げた。
その拍子に溢れていた涙が零れ落ちて頬を伝う。

「え?」

一瞬、雨の音が小さくなったような気がした。
実際に、雨が弱くなった気もしたが、よくわからなかった。
彼の顔を見ようと顔を上げたが、彼は傘を取るために屈んだので、彼の表情は窺えなかった。
顔を上げた彼は、いつもと変わらない表情だったが、私と目が合うと恥ずかしそうに目を逸らした。

「あ、・・・ごめん、なさい・・・」

私は俯き、整理できない頭のまま、とりあえず自分は悪いことをしたのだと思い、謝った。
すると、腕をぐいッと引っ張られて、私はまた驚く。

「・・・とにかく、濡れたまま君を帰せないから。」

彼の顔は見えなかった。
初めて触れた彼の手の冷たさを感じ、困惑しながら、彼に合わせて半ば引きずられるようについていく。
私はさっきの言葉を彼の反芻させながら、歩く。
彼は私を彼女として見てくれていた、という事実を初めて彼の口から聞いたのだと理解し、私は顔から火が出そうになるほど熱くなった。

「あの、石田君・・・」

目を瞬かせると、涙が頬を伝った。彼は足を止め、振り返って、私を見る。
彼は困惑したような表情を浮かべ、迷ったように瞳を揺らす。

「ずっと思ってたんだけど、それ止めないか?」

彼はそういい、私はどういう意味か聞こうとすると、彼は私の耳に口を寄せた。
ほとんど初めての彼の急接近に驚き、私は反射的に言葉が引っ込んでしまった。

。」

彼の声が私の鼓膜を震わせる。
はっきりと私の名前を彼は紡ぐと、私から離れた。
私は驚きと恥ずかしさと戸惑いでくらくらしながら、とりあえずしっかり両足で立っていられるように意識を集中させる。
気を抜いたら、腰が抜けてしまいそうだと思った。

「・・・これからは名前で呼ぶから、君も名前で呼んで。」

彼はすぐに前を向いて私を引っ張って歩き出してしまった。
私は未だ困惑しながら、鼻を啜った。
そして、そっと空を見上げた。

「あ・・・」

私の声に反応して、彼は足を止めて振り向く。

「どうした?」

不思議そうに私を見る彼に、私は空を指差した。
さっきまで空を覆った雲は見事に無くなって、綺麗な夕焼け空が広がっている。
朱に染まった空に私は思わず感嘆した。

「きれい。」

彼も空を見上げ、私を見て、微笑んだ。
私は初めて見た彼の笑みに驚いて固まった。

「・・・行こうか。」

彼は私の手を引っ張った。

「うん・・・雨竜。」

彼に促されて、私は握られていた彼の手をそっと握り返した。
驚いたように彼は私を見て、彼は照れたようにそっぽを向くと歩き出した。
繋いだ手を見て、私は幸せに包まれたような気がして、私は微笑んだ。
真っ赤に染まった空に、私は雨を降らせてくれたことを感謝した。





2006-07-28 Written by mizuna akiou .